2017年4月6日木曜日

BRM318広島200呉松山 その1

どうも、たっかんです。
ご無沙汰しております。
おお、そうだ。
忘れておりました。
大変遅くなりましたが、2017年も当ブログの気まぐれ更新にお付き合いくださいませ。


さて、昨年2016年はよく走った。
ま、ブルべでSRの認定を受けたのだから当然とは言えますが。
トータルで9903.9キロ。
あと96キロ弱で1万キロという(^-^;
惜しいのやら惜しくないのやらって感じですわ。
50歳を迎えた、競技志向でもない、普通のおっちゃんとしてはまずまずではないでしょうか。


で、今年はどうするか?
ま、今のところ何も考えておりません。
600キロ走ったから次は1000キロとか、今年もSR認定とか、って思いも今のところないし。
ま、この辺は時の流れとともに考えていきましょうかねえ。


で、今年お初のブルべに参加してきましたよ。

3月18日(土)に開催されたBRM318広島200キロ呉ー松山。
瀬戸内海の海沿いをひたすら走るという、もはや神仕様というしかない平坦基調のブルべ。
今年しょっぱなのオープニングブルべにふさわしいとしか言いようがありません。
午前5時過ぎ。

まだ夜が明けやらぬ港町呉に、ぴちぴちジャージを着用した紳士淑女が続々と集まってくるわけですわ。
200キロというブルべとしては距離が短く、さらに平地基調と相まってか、いつものブルべに比べ、女性の姿が多い気が。
初めてのブルべに最適ですわね。


実は今回のブルべ。
特別な思いが込められていたのだ。
開催数日前に日本のブルべの統括団体であるAudaxJapanの代表が、ブルべで訪れたニュージーランドで、事故のために亡くなられてたのです。


実は、わしも代表と一緒のブルべに参加したことがあったという。
昨年のBRM702岩国400です。
周東町の山奥にある獺祭の酒蔵付近で会話を交わした記憶があります。
ゴールでもお見掛けしたはずです。
わしたちと一緒に走った人が亡くなった。
なんと無常なことか。


訃報を受けて、この週末のBRMを中止するという情報が流れたのですが、結局開催の可否は主催団体に委ねられたということで。
AJ広島の判断は開催でした。
正直、安堵しました。
社会人として、仕事やらなんやら万難を排して休みを取って参加を決めたわけですから。
AJ広島の英断に感謝します。


5時半からのブリーフィングでは、AJ広島の代表から、訃報についての説明があった。
わしたちとは付き合いの深さが違うでしょうから、今回のBRMに掛ける思いも一段と深いものがあったのではないだろうか、そう思います。
特製パネルも準備されていました。
いろいろな思いを乗せて走る。
辛いこと、楽しいこと。
自転車って、人生と重なる。
そう思います。


さて、今回のBRMに参加するのは、わしとお馴染みの相棒ケーキさん。
そしてMCRのエースことガチオくん。
今回、いろいろと問い詰めたいことがあったのだけど、朝会ったときには全くそのことを忘れていたという(^-^;
情けないのう。


陸に上げた潜水艦「鉄のくじら」が、次第にはっきりと見えるようになってきました。
気温はほぼ0度。
寒いです。
でも走る訳で。


とにかく出発です。
今回は70人前後の出走者なので、AJ広島には珍しいウエーブスタートです。
市街地ですしね。

わしは6番目集団でのスタートだったかな。
信号が変わるたびに、適度なタイミングで一団が走り出す。
わしとケーキさん、ガチオ君の3人も出発です。
明るくなる呉の街を走っていく。
寒い。


今回の服装ですが、上がモンベルのメリノウールの長袖アンダーに、ラファの半袖ジャージ。それにモンベルのストームクルーザーを羽織る。
下はラファのビブショーツに、パールイズミのレッグカバー。
足元はモンベルのネオプレーンのシューズカバー、モンベルのメリノウール靴下で固めた。
走り始めは寒いので、モンベルのレインパンツを履いて、万全の備えだな。


休山のトンネルで、わしがサドルバッグに装着したリアライトを落とすという不手際が発生。
ガチオ君の姿が次第に見えなくなっていくのだった。
阿賀の市街地を通過するころには、わしとケーキさんの安定の二人旅に(^-^;
ま、ガチオ君は仕事が入ったとかで、日帰りの強行軍になってしまったのでしょうがないね。
山口から参戦した青ジャージの超速い人と一緒に行ってもらうか。
と思いつつ、淡々と進むのでありました。

つづく。

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